ベルリン旅行 ~歴史編 その2。~ [旅行(ドイツ)]
では、次に「ベルリンの壁」について。
「ベルリンの壁(Berliner Mauer)」とは、1961年~1989年の間に存在した、東ドイツ(含む東ベルリン)と西ベルリンを隔てる壁のことです。
第二次世界大戦後、ドイツは「ドイツ連邦共和国(西ドイツ、米・英・仏占領地域)」と、「ドイツ民主共和国(東ドイツ、ソ連占領地域)」とに分断されました。首都のベルリンも4カ国間で分割され(西側を米・英・仏、東側をソ連)、その結果、西ベルリン(米・英・仏占領地域)は周囲をすべて東ドイツに囲まれた状態になり、「赤い海に浮かぶ自由の島」と呼ばれました。ソ連領の中にベルリンがいるのがわかるかな?ベルリンの分割(両画像共にwikipediaより)
そして、東ドイツ国民が西ベルリンに相次いで亡命し始めたことに危機感を抱いたソ連政府と東ドイツ政府は、労働力の流出を防ぐために壁を建設したわけです。
1961年8月13日午前0時に、東ドイツは東西ベルリン間の68の道をすべて封鎖し、有刺鉄線による最初の「壁」の建設を開始しました。2日後には石造りの壁の建設が始まり、最終的には総延長155mのコンクリートの壁となりました。(壁は両ドイツの国境上ではなく、すべて東ドイツ領内に建設されました。)
前置きが長くなってしまいました・・・
ベルリン旅行 ~歴史編 その1。~ [旅行(ドイツ)]
ベルリンの歴史を考えると、「第二次世界大戦」「ベルリンの壁」という2つの大きな要素があります。今回の旅行では、その両方の側面も見てこようと思ってました。
第二次世界大戦におけるナチスドイツによるユダヤ人迫害/大量虐殺は、誰もが知ってる歴史上の出来事ですよね。ベルリンには、いくつかのユダヤ人に関する博物館やナチスドイツに関する博物館があり、その中の2つを訪れてみました。
ベルリン旅行記 ~観光編~ [旅行(ドイツ)]
というわけで、ベルリン旅行に戻ってまいりました~。今更ですが~。
早速訪れたベルリンの観光スポットを紹介していきます。
まずは、ホテルの窓から見えた「ジャンダルメンマルクト (Gendarmenmarkt)」。この広場は、ベルリンで最も美しい広場と言われてます。いい天気だぁ~♪
ちょっと引いて撮ると・・・おや?同じ人が2人・・・?ふたご?!
手前が、「ドイツドーム(Deutscher Dom)」で奥が「フランスドーム(Französischer Dom)」です。うり二つの2つの教会は、1701~08年にかけて建てられた教会です。フランスドームが先に出来たんですが、ドイツ人達が「宗教的な建物の建設は禁止されてるのに造るなんてずるい!」と言い出して、自分たちも(なぜかうり二つの)教会を建てたんだそうです。・・・ホントに?!
ベルリン旅行記 ~ベルリンマラソン その2.~ [旅行(ドイツ)]
9月20日(日)。晴れ
若干涼しいかな?ってお天気の中、お友達たちとマラソンのスタートポイントに向かいました。
「ベルリンマラソン(Berlin Marathon)」とは、毎年9月の最終週末にベルリンで開催されるマラソン大会で、1974年に初開催されました。この時のランナーは286人。1980年までのマラソンコースはベルリン西部の森(グリューネヴァルト)となってて、1981年に、初めて(当時の)西ベルリン市内の大通りをコースとして使用できるようになりました。そして、1990年9月30日に、初めて、東西分断の間通行封鎖されてたブランデンブルグ門を2.5万人のランナーが走り抜けました。東西ドイツ統一の3日前に、歴史的なベルリンマラソンが開催されたわけです。年を追うごとにランナーの数は増え、今では4万人規模の大マラソン大会となりました。
マラソンコースは平坦な市街地を貫き、ブランデンブルグ門をゴールとする、世界屈指の「高速コース」です。そのため、男女ともに、最も世界新記録が出てるコースなんだそうです。2008年のレースは、男子は史上初の2時間3分台の世界新記録でハイレ・ゲブレセラシェ(Haile Gebrselassie)が優勝しました。ちなみに・・・2000年から6年連続で女子の優勝者は日本人だったりします。(2000-松尾和美、2001-高橋尚子、2002-高橋尚子、2003-橋本康子、2004-渋井 陽子、2005-野口みずき)こんなコース。
スタート地点付近についたら、人!人!人っ!そりゃそうよね、4万人のランナーがいて、そのファミリー&フレンズがいるんですもんね・・・(@_@)
ベルリン旅行記 ~ベルリンマラソン その1.~ [旅行(ドイツ)]
ベルリンに行ってきたわけですが、まずはまずは、ベルリンマラソンについて書きたいと思います。
9月17日(木)。10:45のSASに乗ってベルリンに飛びました。機内でランチを食べ終わって一息つく間もなくベルリンに到着。所要時間45分。近っっっ!!!(@_@)
(最近のうちらの流行りは、コペンハーゲン空港内の「YAM YAM」というアジアンファーストフード。)これが結構美味しいのよね。
ベルリンは、意外と「水」と「緑」が多い地域なんだな~と、上空から見て思いました。良い天気だぜ!
この日のトッププライオリティーは、9月20日(日)開催のベルリンマラソンの登録。イベント会場に行って登録作業をし、ゼッケンやチップなどをもらわなきゃいけないんですよ。イベント会場は、ベルリン市内のテンペルホーフ空港。
戻りました~!!! [旅行(ドイツ)]
気のせいか・・・ベルリンから戻ったら家の中が寒くなった気がする。いよいよコペンも秋本場に突入しちゃったのね・・・(T◇T)
というわけで、昨日の夜、ベルリンから帰ってきました~!
ベルリンって大都市なんですねぇ・・・ドイツの首都だとはわかってましたが、勝手なイメージとしてフランクフルトやミュンヘンの方が栄えてるのかと思ってました・・・ゴメンナサイ。人や車が多くて時折「ひーーぃっ」となりましたが、ほかの大都市に比べて「安全」な雰囲気がある・・・というかデンジャラス度が低い都市だなぁと思いました。
今回はベルリンマラソンがメインイベントだったので、一生懸命観光はしませんでしたが、4泊5日もあると、ある程度回れるもんですね~。主要スポットは抑えた気がします。そして・・・ベルリンマラソンっ!!!マラソンってすごいね。あの異常なまでの熱気と興奮。走らない私でも、その日はテンションが上がりました。4万人規模のマラソンだったんですが、4万人って・・・すごい。見送っても見送っても後から後から大量のランナーが来る(@_@) 怖いくらいのランナーの数でした。
これからちょこちょこベルリンでの様子をアップしていきたいと思いま~す。
ちょろっとハイライトをお見せすると・・・
かなり盛り沢山な、興味深い旅行でした!
突然ですが・・・ [旅行(ドイツ)]
ベルリンマラソンを見に、ベルリンに行ってきま~す!
現地に乗り込むほどマラソン観戦好きだったっけ・・・?
いや、これと言って好きではありません。じゃあなぜ・・・?
だって、ハズバンド&フレンズが出走するんですもん!フルマラソンにっ!!!そりゃあ、見に行くでしょ~う♪(≧▽≦)♪
え、私・・・?もちろん走りませんよ~。どんなに大金積まれても絶っっっ対走りません。己に弱いから長時間走るなんて耐えられないよ(>_<) 百歩譲って100m走だね。
というわけで、マラソン観戦しつつ、ゆる~く観光してきま~す。
ブレーメンとオーデンセの旅 ~ブレーメン探索~ [旅行(ドイツ)]
ブレーメンの音楽隊と触れ合ったあと、ブレーメン市庁舎の地下にある「Bremer Ratskeller(ブレーマー・ラーツケラー)」に行きました。ドイツの伝統的な市庁舎には、地下にラーツケラー(市参事会セラー)があり、その多くが、現在もラーツケラーという名前のレストランとして営業してるんです!市庁舎から地下に潜るとレストラン~!
ブレーメンとオーデンセの旅 ~アウトバーンとブレーメン到着~ [旅行(ドイツ)]
リューベックを後にし、ブレーメンに向かいました。
リューベックに向かう途中も、リューベックからも、「A1」という高速道路を走りました。ドイツの高速道路で「Aなんちゃら」はアウトバーンを指します。アウトバーンと言えば・・・制限速度がない無法地帯っ!・・・って思ってたんですが、実際は「速度無制限区間」と「速度制限区間」の両方あり、速度制限区間は標識が示す速度で走らなければならず、無制限区間も、一応推奨速度が130km/hとなってました。まぁ、とは言え、「無制限」区間は出したい人は時速200km/hくらい出しちゃってるようです。
そんなに飛ばさない人やトラック(無制限区間でも制限速度は80km/hと決まってる)は右側車線、バンバン飛ばす人は左側車線と、かなり明確に別れてて、2車線の速度の違いのギャップが面白かった。私たちも、「アウトバーンなんだし!」って左側の車線を走りました~!アウトバーン!
150km/h以上になった時はさすがに緊張した。
良い感じに飛ばしてたんですが、思わぬ落とし穴がっ!